オカルト - A1318

好奇心の赴くままに、変人がオカルトを語る

クトゥルフ神話の片隅、『壁の中の鼠』を読んで

 もう何度目になるか、H・P・ラヴクラフトの『壁の中の鼠』を読んでいました。
クトゥルフ神話で有名なラヴクラフトの作品の中で、三番目くらいに好きな作品です。
今日はこの作品についてちょっと解説して、クトゥルフ神話に対する考察をしていけたらと思います。

なぜ部屋にこもって小説を読んでいたかといえば、天候が原因です。今日は奥多摩の忌み地「御霊の尾根」にてハイキングと洒落込もうと思っていたのですが、本日の天気は雪。奥多摩の山なんぞに分け入れば、私自身が御霊の尾根に棲む霊のうちの一体になってしまいます。という訳で、おとなしく布団をかぶって読書です。

私の愛読書『ラヴクラフト全集』大瀧啓祐訳です。繰り返し読んでいるので、保存状態は芳しくない。書店で結構安く買えますので、未読の方はぜひお買い求めください。

  さて、まずは『壁の中の鼠』のあらすじなのですが、

 戦争で一人息子を失い傷心のデラポーア氏。イングランド貴族である彼は御先祖様の土地を買い戻し、そこの古城に住み始めた。しかし城の壁の中からは、存在しないはずの鼠たちが駆け回る、猥雑で不愉快な足音が響いてくる。頭を悩ませたデラポーア氏は友人たちと共に、姿の見えない鼠の駆除に乗り出す。調べを進めるうちに、鼠たちの足音の正体とデラポーア家のDNAに刻み込まれた呪わしい真実が明らかになっていく……

っていう感じです。オチは伏せます。
ラヴクラフトの小説には珍しい、わりと正統派のホラーです。

壁の中から大量のネズミの足音……想像もしたくないですね。
まさにホラー……
って思ったら、こういう事例って現実でも案外あるらしいんですよ。ネズミ、ハクビシン、テン、コウモリとかが実際に住み着いちゃうらしいんです。

 一風変わった例もあって、1957年のアメリカで「壁の中から猫の声がする」という事案が発生しました。壁に閉じ込められた猫を救出しなきゃ!っていうことになって、警察や新聞まで巻き込んだ一大騒動に発展したそうです。しかしどれだけ壁に穴を開けて探しても、誰も猫を見つけることができない。
まだ探したりない? まさか猫の幽霊? ……

ところがどっこい、音響検査をしてみたところ、猫の鳴き声によく似た環境音が家の配管から響いていただけというオチでした。猫は救出されず、家は穴だらけ。骨折り損のくたびれもうけとはまさにこのことですね。
 ラヴクラフトの『ウルタールの猫』とかポーの『黒猫』とか、猫はホラーと親和性高いんですけど、この件は現実的な解決となってしまいました。残念。

 2021年には、ガチで家の壁から子猫が救出された例もあるのですが、それに関してはホラー要素もミステリー要素もないので割愛。

 さて、話を『壁の中の鼠』に戻しますが、このお話の最後にニャルラトホテプが出てくるんですよね。アホ毛美少女ではありません。クトゥルフ神話トリックスター、「気の狂ったのっぺらぼうの神」の方です。

 デラポーア家に隠された秘密に気づいてしまったデラポーア氏は、存在が不安定な未知なる無限の深淵を目にした。その深奥に存在するのがニャルラトホテプであり、二人の精神が壊れた眷属が吹く笛の音に合わせて出鱈目な声を張り上げている……

要約するとこんな感じです。怖っ

 ニャルラトホテプは、ラヴクラフトの夢に現れた不吉な存在を小説に落とし込んだ存在として知られています。彼はダゴンクトゥルフをデザインするときに、自身の海洋恐怖症をモチベーションとしていました。しかしニャルラトホテプは海洋とは関係のない外見や能力を持っており、その成立過程も海洋とは関係がありません。夢に現れた存在も、作中のニャルラトホテプほど強烈なキャラクターではありません。
そのことから、ニャルラトホテプのモチーフは何?という疑問を、ラヴクラフト好きな人なら一度は抱いたことがあるでしょう。

 私は、そんな疑問を解決してくれるのが、この『壁の中の鼠』だと考えています。
読んでいると分かりますが、作中でニャルラトホテプが存在した深淵は、デラポーア氏の狂気そのものと考えることができます。その考えに従うと、「ニャルラトホテプの出鱈目な声」は、彼を繧ォ繝九ヰ繝ェ繧コ繝? へと駆り立てる声なんです!!!
 ラヴクラフトは海洋だけでなく、繧ォ繝九ヰ繝ェ繧コ繝? も大変嫌っていました。そのことも合わせて考えると、ニャルラトホテプという存在は、ラヴクラフトが常に抱いていた莠コ髢薙′莠コ髢薙?閧峨r鬟溘≧縺ィ縺?≧遖∝ソ の狂気、そしてその根源的欲求への恐怖を形にした存在なのかもしれません。

フランシスコ・デ・ゴヤ『我が子を食らうサトゥルヌス』

※ ネタバレ防止のために一部文字化けしておりますが、察していただくか、実際に作品を読んでいただければ嬉しく思います。